Ⅳ章　低線量放射線の健康影響の疫学的調査

Ⅳ‐１１　放射線に弱い“ナイミーヘン症候群”患者のＤＮＡ修復不全

　　ナイミーヘン遺伝病の特異的疾患と２本鎖ＤＮＡ切断修復不全の関連
　ナイミーへン患者は２本鎖ＤＮＡ切断修復不全症である。これが原因となって、患者にはつぎの特異的疾患が発生する。１）患者の大半が先天性奇形症、小頭症頻度は１００％；２）患者の３５％がリンパ腫・白血病を２１歳までに発病；３）全患者は若年で死亡；４）免疫不全症；５）末梢血リンパ球に転座・逆位が多発；６）患者の体細胞は、正常細胞より２－３倍のＸ線致死高感受性；７）患者の細胞は、放射線被ばく後、正常細胞で起こる「ＤＮＡ合成一時停止」が起こらない。
　上述の特性のうち、６）と７）は、ナイミーへン患者はＤＮＡ修復不全症であるため、放射線誘発の２本鎖ＤＮＡ切断（ｄｓｂ）の修復が不全となっている結果として説明できる。
　特異的疾患１）～５）は、患者は放射線を浴びていないのに、なぜ起こるのか？これは、放射線を浴びなくても、２本鎖ＤＮＡ切断ｄｓｂは人の体細胞に自然に発生している事実から説明できる。すなわち、ナイミーヘン患者の体細胞では、白然に発生しているｄｓｂの修復が不完全であるため、修復されないで残存したｄｓｂを保有する細胞が毎日累積し、この不良細胞の数は受精卵が母体胎盤に着床した直後から、峙間が経つにつれて累積する結果、１）～５）の特異的疾患が発生する。このように考えられる。
　２本鎖ＤＮＡ切断ｄｓｂの自然発生の数の検出には、２本鎖ＤＮＡ切断部位に結合する特異的蛋白質、例えば、ＲＡＤ５１蛋白質（図Ⅳ‐１５；相同組換え模型の中段の数珠つなぎ丸印）を用いる。ＲＡＤ５１蛋白質の抗体をつくり、これをヒトのリンパ球の培養液に注入する。ＤＮＡ合成期にあるリンパ球には、１細胞当り５個以上のＲＡＤ５１蛋白質の凝集した点状のフォーカスが顕徴鏡で見える２７）。ＤＮＡ合成期にないリンパ球ではこのフォーカスは見えない　２７）。
　ナイミーへン患者の特異的疾患の１つ小頭症は、患者にｌ００％発生する。同じような小頭症は、正常人の胎児期の原爆放射線被ばくでも発生した。原爆放射線被ばく者に発生した小頭症の頻度ｙと被ばく線量Ｄ（Ｇｙ）の関係は、１４７３人の被ばく者の調査から、次式で近似できることがわかった２９）：

　　　　ｙ＝０．０２＋０．５Ｄ（５）
　原爆放射線の被ばくによる小頭症が多発する危険期間は胎児齢０－１５週の１５週間に限定されていた　２９）。この危険期間を（日）と表わす。ナイミーへン患者では、小頭症の頻度は１００％である。従って、式（５）からｙ＝１を与えるＤの値を求めるとＤ＝２（Ｇｙ）となる。この線量をＤｎと表わす。Ｄｎをナイミーヘン等価線量（ナイミーヘンに特異的なｌつの疾息の頻度と等しい頻度で同じ疾患を正常人に誘発する線量）と定義する。
　正常人がＤｎを彼ばくしたとき誘発される細胞当りのｄｓｂの数をＮとする。これをＴで割った値Ｎ／Ｔは、ナイミーヘン患者に毎日自然発生するｄｓｂの数ｎに等しいというのが、ナイミーへン等価線量Ｄｎの意味である。この考えを式で表すと、次のようになる。

　　　　nf(1－r)＝N（１－R）／Ｔ＝40Dn(1－R）／Ｔ　　　　　　　（６）
　ここに、ｆは自然発生ｄｓｂと放射線誘発ｄｓｂの毒性の強さの比で、最後の項の４０はＸ‐γ線１Ｇｙ被ばくしたヒト細胞の１個当りに誘発されるｄｓｂの数である　２８）。式（６）のＲは正常細胞における放射線誘発ｄｓｂに対する修復効率で、ｒは、ナイミーヘン細胞における自然発生ｄｓｂに対する修復効率である。
　式（６）を説明するための模型を図Ⅳ‐１６に示す。簡単のため、式（６）に採用したｆは省略した。この図で説明しよう。ナイミーヘン患者のｌ個の細胞に：一日あたりに自然発生するｄｓｂの数をｎと表した。これがＤＮＡ修復率ｒのため残存ｄｓｂの数はｎ（１－ｒ）になる。他方、放射線を１日当たりＤｎ／Ｔ（Ｇｙ）被ばくした１個の正常人の細胞では、放射線誘発ｄｓｂの残存数はＮ（１－Ｒ）／Ｔとなる。ナイミーへン等価線量Ｄｎの定義は、数式ではつぎのように表現される：

　　　ｎ（１－r ）＝Ｎ（1－Ｒ）／Ｔ；ここで、Ｎ＝４０Ｄｎ　　　　　　　　（６Ａ）
この式に自然発生ｄｓｂと放射線誘発ｄｓｂの毒性の強さの比ｆを補正囚子として追加すると式（６）の厳密な式になる。
　　　　　　

図Ⅳ‐１６　ナイミーヘン等価線量Ｄｎの定義：正常人細胞が線量Ｄｎを浴ぴたとき修復されないで残る２本鎖ＤＮＡ切断（ｄｓｂ）の数Ｎ（１－Ｒ）は、ナイミーヘン患者細胞に毎日自然発生するｄｓｂのうち修復されない残存ｄｓｂの数ｎ（１－ｒ）のＴ日間の累積数Ｔｎ（１－ｒ）と等しい。図の●印は残存ｄｓｂの数で、両細胞で等しい大きさ。ｒとＲは、それぞれ、患者細胞と正常細胞のｄｓｂに対する修復効率。ｒ＝０．４なら、傷が４０％修復し、残存ｄｓｂの割合は（１－ｒ）＝０．６になることを意味する。Ｔは正常人が放射線被ばくして、ナイミーヘン患者と同類の疾息を発病をする危険期間の日数。